おんぱく写真部レポート

清流・長良川。
そのほとりにある鏡島弘法で平安時代から悠久の時を経て、そのままの姿を残す国の重要文化財である仏様を拝観します。
その後は、昔から変わらぬ川辺で、江戸時代から参拝客を乗せ続ける渡し舟「小紅の渡し」に乗りながら黄昏時に思いを馳せましょう。
この渡し舟は中山道の裏街道で、なんと現在の県道なんです!
夕御飯には、鏡島弘法の参道をずっと見守ってきた三好屋支店でウナギをいただきます。
さて開始!!

受付、スタッフ挨拶説明のあと鏡島弘法「乙津寺」の住職より簡単にお話があり境内に入りました。

乙津寺(おっしんじ)と言う名前ではありますが、鏡島弘法とか弘法さん、梅寺と言う名前で親しまれています。
乙津寺は歴史が古く、行基菩薩(奈良時代の僧)が天平10年(738年)草庵を築いたのが始まりと伝わっています。
その後、嵯峨天皇の勅命を受けた弘法大師が、この地に来られ寺を建立し乙津寺と名付けました。

まずは、体を清めます。

太師堂に入る予定では無かったですが、お庫裡さんのご好意により入ることとなりました。
お寺にたまたま居たボランティアの案内の方とお庫裡さんと、今回案内した岐阜市まちなか案内人の方とが顔見知りで話がスムーズに行きました。
40・50代以上の方は分かると思いますが、お庫裡さんは岡田奈々さんのお姉さんです。

太師堂のあとは、太師堂向かって右側にある国宝安置殿があり国宝級(国重要文化財)の像があります。
その中には
・木造千手観音(十一面千手観世音菩薩)立像(平安時代)
・木造毘沙門天立像(平安時代)
・木造韋駄天立像(鎌倉時代)
がありますが、撮影は禁止です。
国宝殿?と思われる方もおみえでしょう、元々国宝に指定されていましたが、法改正に伴い国重要文化財に指定されました。

国宝級の象を見て、太師堂裏手に行くと四国八十八ヶ所霊場があります。

讃岐でご誕生されたお大師さま(弘法大師・空海)もたびたびこの地でご修行され、八十八ヶ所の寺院などを選び四国八十八ヶ所霊場を開創されたと伝えられております。

四国遍路の全行程は、徳島県(阿波)の一番札所(発願の寺、竺和山 一乗院 霊山寺)から高知県(土佐)、愛媛県(伊予)そして、香川県(讃岐)の八十八番札所(結願の霊場、医王山遍照光院 大窪寺)まで約1,460km365里)になります。

ここでは、数分の旅です。

そして、県道に向かいます。
小紅の渡、川の上の航路ですが、県道の岐阜県道173号文殊茶屋新田線の一部です。
お寺の裏手、長良川の堤防を越え河原に向かいます。

対岸に待機小屋があり、こちらからは乗船したい場合は大声で呼びます。
小紅の渡の「小紅」の名前の由来は諸説あって
1.小紅という女船頭がいた。
2.対岸から嫁入りするときに、花嫁が川面に顔を映して紅を直したとする説。

3.ベニを採る草がはえていたとする説。
4.小紅という地名があったとする説。
など、いろいろあります。
私的には2の説であって欲しいです。

岐阜市長良川には渡し船が12ヶ所在ったとされています、現在橋の架かっているところやその間にありました。
橋などが架かってきてその役目は終わり、現在は小紅の渡しだけとなっています。

暗くなってきたところで創業約80年の三好屋支店に移動。
三好屋支店という事で本店は?と聞いたところ、既に閉店したそうです。
鰻に舌鼓、スタッフが何か説明してますが、それより食べたいですね。

焼き加減と良い、照りと良い、美味しそうです。

この日の天気予報は雨確率が高かったのですが、雨は降らずたまに陽が差すこともありました、参加者の思いが雨を降らさなかった感があります、日頃良いことばかりしているのでしょうか。
皆さんが写ってる写真見てもらうと、皆さん傘持ってますよね。

この企画したスタッフは、岐阜大学地域科学部富樫ゼミ3年の岐阜をこよなく愛する6人。
お酒好きの冨樫先生。
協力として、
岐阜市まちなか案内人の光村さん。
鏡島弘法乙津寺、三好屋支店。

そして、富樫先生がまち歩きの時リュックに入れて一緒に歩き回った一升瓶。
三好屋で皆さんに振舞われました。

毎回富樫ゼミのプログラムには登場します。




(016 平山)